席藁待罪・微行・白塔派とは?
2012/07/05
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イ・サン第58話もフィクションがほとんどで、特に解説することはありません。
そこで、今回はドラマ内で使用されている用語について解説します。
席藁待罪(ソッコデジェ:석고대죄)
元嬪(ウォンビン)がやっていた『土下座』と訳されることの多い行為です。文字通り、藁(わら)の筵(むしろ)を敷いてその席に座し、罪に対する処罰を待つ行為です。通常、下着(白装束)になり、髪をおろします。あらゆる歴史ドラマで必ず出てくるシーンですので、『ソッコテジェ』という音をよく覚えて置くとよいでしょう。
微行(ミヘン:미행)
今話ではとても多く出てきた言葉です。位の高い人物がみすぼらしい姿になって何かを行う事を言います。イ・サンの『お忍び』をあら合わすセリフはすべてこの微行(ミヘン)です。ただ、ドラマ初期には暗行(アメン:암행)の方を使っていたと思います。ほぼ同義語なのですが、王になった時とそうでない時とで、言葉遣いに差を設けているのかもしれませんね。
実録を見ると思悼世子(サドセジャ:사도세자)の行動にもこの微行(ミヘン)が使われているため、『微行(ミヘン)=王の隠密行動』と言うわけではありません。
白塔派(ペクタプパ:백탑파)
白塔詩派(ペクタプシパ:백탑시파)とも呼ばれます。本来は庶子の朴齊家(パク・ジェガ:박제가:1750-1805)が1767年以降に親交のあった他の庶子達、李德懋(イ:ドクム:이덕무:1741-1793)や柳得恭(ユ・ドゥッコン:유득공:1749-1807)などと開いた文学同人会でした。
名前の由来は、現在の仁寺洞(インサドン)あたりの大寺洞(テサドン)円覚寺(ウォンガクサ)に十段の石塔があり、その石塔が白塔(ペクタプ)と呼ばれており、庶子たちがその周辺に住んでいたからです。
そこに1768年、熱河日記で有名な老論(ノロン:노론)の実学者・朴趾源(パク・ジウォン:박지원:1737-1805)が越してきて、そこに彼ら庶子たちが集まるようになり、また、両班の中でも身分に関係なく彼らの才に惹かれ集まってきた者たちが増え白塔派(ペクタプパ:백탑파)は発展して行きました。
もともとは詩人の会のようなものだったのが、いつしか実学の一派・北学派(プガクパ:북학파)のサロンとして機能し始めます。このような状況が10年ほど続き、1779年3月27日に李德懋(イ:ドクム)、柳得恭(ユ・ドゥッコン)、朴齊家(パク・ジェガ)らが奎章閣検書官(キュジャンガク コムソグァン:규장각 검서관)に任命され、彼らの多忙により活動は縮小されました。
ここまで読むと「あれ?」と思った人もいるのではないでしょうか?
イ・サンは随分前に朴齊家(パク・ジェガ)らと会っていて、すでに検書官(コムソグァン)にも任命してますよね。けれど、第58話では白塔派(ペクタプパ:백탑파)と初めて会ったような口ぶりで、彼らについて調べてくれと言っていました。
このあたり、ドラマ・トンイでもあったことですが、脚本家のキム・イヨンさんがやってはいけない歴史の並べ替えをやって、ドツボにはまるケースの一端です。歴史を知らない人が見れば問題ないかもしれませんが、歴史には必然的な流れがあるので、これを無視するとおかしなことになります。
元嬪(ウォンビン)の状況からして、第58話は1779年4月だと思います。翌5月7日には大変なことが起こるのですが、それはおいといて、ドラマ内で彼らを検書官(コムソグァン)に任命するのが早すぎましたね!
特に解説することはないと言いつつ、実はしっかりと解説することがありました(笑)
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