イ・サン最終回 イ・サンは毒殺された?そして、イ・サンの死後は?
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イ・サン最終回。
韓国のように週に2話づつの放送ではなかったため、1年9ヶ月という長丁場でした。
ドラマの性質上、希望的含みをもたせた終わり方をしましたが、イ・サンの死により新たなそして強大な悲劇が始まりました。
そして韓半島は200年の暗黒時代に突入していきます。その黒い霧が晴れたのは、ここ20年のことといっても過言ではありません。
それだけに、現代でも「イ・サンがあと10年長生きしていれば」と言われます。それでは、彼の晩年とその後の史実を見て行きましょう。
その前に、以前まとめた朝鮮正祖・李祘 (チョソンチョンジョ イ・サン) ウィキペディアより詳しいイ・サン5 死・まとめを御覧ください。実は、解説したいことの半分以上はこちらに書かれています。合わせて読むと理解度が増すと思います。
イ・サンの眠る水原の健陵(コンルン:건릉)
まず、文孝世子(ムニョンセジャ:문효세자:1782-1786)が無くなったのち、1790年6月18日に綏嬪朴氏(スビン パクシ:수빈 박씨:1770-1822)が待望の男子を産みます。のちの第23代純祖(スンジョ:순조)です。
彼が世子(セジャ:세자)に冊封されたのが1800年1月で、そのわずか5ヶ月後の1800年6月28日にイ・サンが亡くなります。享年49歳でした。
イ・サンはなくなる1ヶ月前に五晦筵教(オヘヨンギョ:오회연교)を発し、「父・思悼世子(サドセジャ)を殺した老論僻派(ノロンピョッパ:노론벽파)を決して許すことができない」「南人を重用する」という意志を明らかにしました。
五晦筵敎とは5月の晦日(30日)に経筵(キョンヨン:경연)で行った下教(ハギョン:하교)という意味です。経筵とは重臣たちとの会議なり勉強会です。
この五晦筵教がイ・サン毒殺説の重要なファクターなのですが、歴史学者の間でも解釈は二分しており、南人(ナミン)を重用するとは言っていないという解釈もあります。当サイトでは反老論僻派(ノロンピョッパ:노론벽파)を口にしたとして話を進めます。
ドラマ内、特に日本語翻訳では僻派(ピョッパ:벽파)と時派(シパ:시파)について明確にされていませんが、この時代は「老論V.S.南人」という単純な構図ではなく、思悼世子について否定的か同情的か、さらにはイ・サンに対して否定的か肯定的かで「僻派(ピョッパ)V.S.時派」の構図になっています。
この2つの派閥は超党派ですので、南人の多い時派にも老論がいました。そして、イ・サンが最も憎むべき相手は老論に属し僻派の考えを持つ老論僻派です。
今まで党派の融和を図る蕩平策(タンピョンチェク:탕평책)を取っていたイ・サンでしたが、華城の築城が完成し老論僻派への迎撃体制が整ったことで下教したのではないかと思われます。積年の恨みがついに爆発したのでしょう。
彼のプランは1804年には世子(セジャ)に王位を譲り華城(ファソン)で過ごすというものでした。生前できなかった思悼世子(サドセジャ)への孝行と、漢城への睨みを利かし、王権を強化するための策でした。
そして、イ・サン自身は先代王で祖父の英祖(ヨンジョ:영조)に思悼世子を追尊王にすることを止められていたため、敢えて譲位することで息子の名で成し遂げる計画も持っていました。
父を死に追いやり自分の排除を幾度となく行った「積年の恨み」と、長い間の宿願だった「父の追尊」を成し得るには、明らかに老論僻派(ノロンピョッパ)は排除すべき、あるいは弱体化させるべき存在でした。このような前振りをされた老論僻派は生きた心地がしなかったことでしょう。
最悪の場合、派閥に属する者すべてが抹殺されるだけの理由はあります。時の世子(セジャ)を死に追いやる行為は謀反以外の何物でもなく、万死に値する罪でした。
この、やられる前にやってしまえという老論僻派の心理が毒殺説の動機ですが、果たして毒殺はあったのでしょうか?
のちに自著の中でも丁若鏞(チョン・ヤギョン:정약용)はそれらしいことをほのめかしてはいますが、個人的には毒殺はなかったかと思います。
老論僻派(ノロンピョッパ)が王の毒殺をも可能にするほどクレバーだったにしては、後年、まだ力を持っていなかった外戚候補の金祖淳(キム・ジョスン:김조순)をのさばらせた挙句、あまりにも簡単に瓦解してしまったからです。
また、その死を看取ったのは政敵の貞純王后 金氏(チョンスンワンフ キムシ:정순왕후 김씨)一人だったということもあり、毒殺説に拍車をかけているのですが、すぐに母・恵慶宮洪氏(ヘギョングン ホンシ:혜경궁 홍씨)が世子(セジャ)の手を引き駆けつけています。海千山千の彼女が毒殺に気が付かなかったということはありえないでしょう。
こうしてイ・サンは道半ばで、できものによる病の合併症で死に至りました。
つづく (イ・サンの死後は朝鮮の不幸の始まりだった!)
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