孝懿王后暗殺未遂事件はあったのか?
2014/02/13
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イ・サン65話。
洪国栄(ホン・グギョン:홍국영)がついに禁断の一手に着手しました。
中殿の孝懿王后(ヒョウィワンフ:효의왕후)暗殺(毒殺)未遂事件です。
この事件は事実だったのでしょうか?
結論から言うと洪国栄(ホン・グギョン)亡き後に彼に対する憎悪から尾ひれがついたウワサに過ぎません。ただ、近年作家により作られたフィクションというわけではなく、200年も続くウワサです。一般的にも悪評は良評の数十倍から数百倍の伝搬力があるといいますが、まさにそのとおりですね。
この毒殺未遂のウワサですが、一番怖いと思うのは、韓国の何種類かの百科事典に、さも史実であるかのように「毒殺しようとして発覚し」と書かれていることです。いろいろな立場の方が韓国の歴史観について疑心暗鬼になり揶揄することが多いですが、ニュートラルな歴史愛好家の立場としても、いただけない風潮です。
このウワサですが、当時発覚したのであれば朝鮮王朝実録に記載があるはずです。けれど、そのような記録は全くありません。また、イ・サン第65話でも洪国栄(ホン・グギョン)が都承旨(トスンジ:도승지)の職を離れる描写がありましたが、毒殺を行ったであろうタイミングののちに、彼の叔父・洪樂純(ホン・ナクスン:홍낙순)が左議政(チャウィジョン)になっています。もし、毒殺が史実なら、親族が朝廷の中枢の職に登ることもないはずです。
それではなぜこのような噂がたったのでしょう?イ・サンの母・恵慶宮 洪氏(ヘギョングン ホンシ:혜경궁 홍씨:1735-1815)の著書である閑中録(ハンジュンノク:한중록) にその一因があるのではないかと思われます。
この著書の中に、「洪国栄(ホン・グギョン)が妹・元嬪洪氏(ウォンビン ホンシ:원빈 홍씨:1766?-1779)の死は毒殺で背後には中殿がいたに違いないと思っていた」と記載しているため、悪評高い洪国栄(ホン・グギョン)なら、その逆もあり得ると、民衆は思ったのではないでしょうか。
今回のイ・サン考は少々歯切れが悪いのですが、66話に語りたい要素が山ほどあるためです。
次回は決して見逃せない回ですよ!
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