ホン・グギョンとイ・サンは親戚だった!
2014/02/13
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ホン・グギョンとイ・サンは親戚だった!
トンイ考につづき、イ・サン考を開始するにあたり、日本では全くといっていいほど紹介されていないこの事実を紹介したいと思います。
洪國栄(ホン・グギョン:홍국영)、本貫は豊山洪氏(プンサンホンシ:풍산홍씨)。1748年生まれですからイ・サンより4つ年上です。
感の良い方なら洪氏というだけで見当がつくかも知れませんが、イ・サンの母・恵嬪(ヘピン:빈)のちの恵慶宮(ヘギョングン:혜경궁)は洪氏の出です。しかも全く同じ豊山洪氏なのです。
ホン・グギョンと恵嬪の父でイ・サンの外祖父の洪鳳漢(ホン・ボンハン:홍봉한)は10親等、イ・サン本人とは12親等の親族となります。
日本人の感覚するとかなり遠い親戚のように思いますが、当時、謀反の際の連座制では12親等まで罪が及ぶこともあったので、十分に親戚といえる間柄なのです。
また、第14代王宣祖(ソンジョ:)の娘で第一公主の貞明公主(チョンミョンコンジュ:정명공주)の夫は、ホン・グギョンの6代上の祖先のホン・ジュウォン(홍주원)永安尉(ヨンアンウィ:영안위)です。
このように、豊山洪氏は王族と近い間柄の家系なので、科挙にさえ受かれば出世は約束されていました。
実際、ホン・グギョンは1772年(英祖48)の科挙に合格し、承文院福正字(スンムンウォン プジョンジャ:승문원부정자)につき、その後、世子侍講院(セジャサガンウォン:세자시강원)の正7品説書(ソルソ:설서)というイ・サンに極めて近い部署に付きます。
11番目という飛び切り良いというわけでもない科挙の成績にも関わらず、このようにすぐに世孫(セソン)の側近となったことを見ても、ホン・グギョン自身のバックグラウンドが影響している事がわかります。
ドラマイ・サンでは、イ・サンが祖父英祖(ヨンジョ:영조)よりも先にホン・グギョンと出会っており、英祖に紹介していますが、史実では先に英祖のほうが出会っており、自分のそばにおこうとしていたぐらいです。
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