チョン・フギョムとファワンの関係は?
2014/02/13
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チョン・フギョム。イ・サンの宿敵である彼は、漢字で書くと鄭厚謙(정후겸)です。
ファワンは後宮腹の娘なので翁主(オンジュ:옹주)で、正式には和緩翁主(ファワンオンジュ:화완옹주)です。
この二人の関係は養子と養母の関係としか説明されていませんが、疑問を持ちませんか?
鄭厚謙(チョン・フギョム)は見て分かる通り鄭氏ですが、和緩翁主(ファワンオンジュ)は王族なので李氏です。養子縁組しているのに姓が違うなんておかしいですよね?
その理由はドラマ イ・サンの中には出てきませんが、実は、和緩翁主(ファワンオンジュ)には夫がいたのです!
夫の名は鄭致達(チョン・チダル:정치달)で、1749年3月に彼女が13歳の時に結婚しました。鄭致達は日城尉(イルソンウィ:일성위)となりました。
その後1757年に子供を得ることなく亡くなってしまいます。
1764年に仁川(インチョン)で漁業(または鮮魚店)に従事していた遠縁の子・鄭厚謙(チョン・フギョム)を、彼が16歳の時に亡き夫の養子としました。このような理由で、姓は違うけれども養母となったわけです。
鄭厚謙(チョン・フギョム)は養母の和緩翁主(ファワンオンジュ)が父・英祖(ヨンジョ:영조)に寵愛を受けていたのと同様に、格別な寵愛を受け、加速度的に昇進し、20大後半で戸曹参判(ホジョチャムパン:호조참판)や工曹参判(コンジョチャムパン:공조참판)といった次官級の要職を歴任しました。
ドラマ イ・サンでは27・8歳ですので、その昇進の速さが尋常でないことがわかると思います。
ところで、両者はただの親子関係だったのでしょうか?
和緩翁主(ファワンオンジュ)は1737年生まれで、鄭厚謙(チョン・フギョム)はイ・サンより3年早い1749年生まれです。一回りしか違わない姉といっても差し支えない歳の差しかありません。
しかも、女ざかりの年齢にもかかわらず夫のいない身空。男を渇望するのも不自然ではありません。古来より熟女は年下のツバメを囲うものですし(笑)
もっとも、儒教的観念から考えればそんな事はまずありえないのですが、同腹の兄の子であるイ・サンを亡き者にしようと画策するあたり、常軌を逸した女性だったに違いなく、そういった観点から考えれば、男女の関係にあったのではないかと、下衆の勘繰りもできなくはないのです。
ドラマ イ・サンの解釈でも、李王朝の存続ではなく鄭王朝を画策していたと取れる場面がありますが、養子に対してではなく愛人に対して注力する方が自然だと思うのです。
ま、あくまでも下衆の勘ぐりで、多数ある史実の解釈の内のひとつですが(笑)
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