イ・サン

韓国ドラマ イ・サン ウィキペディアより詳しいイ・サン 第22代朝鮮王正祖(チョンジョ) 歴代朝鮮王の中で最も魅力ある正祖を、韓国時代劇イ・サンを通じて考証していきます

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貞純王后はイ・サンの後宮問題に介入していた!

      2014/02/13

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ドラマ内ではイ・サンから村八分状態の貞純王后 金氏(チョンスンワンフ キムシ:정순왕후 김씨:1745-1805)ですが、本当はどうだったのでしょうか?

正祖(チョンジョ:정조)李祘(イ・サン:이산)も、心情的には村八分にしたかったのでしょうが、王族の長老に対してあからさまにそのような態度をとることはできませんでした。

ですので、ドラマのような半ば軟禁という描写は、心情を行動に映したフィクションということになります。

朝鮮王朝実録を見ただけでも、二人に交流があったことが伺えます。

まず、イ・サンは在位中に彼女に、聖哲(ソンチョル:성철)・莊僖(チャンヒ:장희)ㆍ惠徽(ヘフィ:혜휘)ㆍ翼烈(イクヨル:익렬)ㆍ明宣(ミョンソン:명선)ㆍ綏敬(スギョン:수경)と、6回も尊号を与えています。これだけでも、形式上の「孝」を十分に果たしていたことがわかります。

また、貞純王后(チョンスンワンフ)も、事あることに何かしら口を出しています。

1778年(正祖2)5月2日には、大臣たちに諺文教書(オンムンキョソ:언문교서)を出し、後宮揀擇(カンテク:간택)を命じています。この時彼女は自分を「死にそこないの未亡人」と卑下し、そんな自分でも400年の社稷を思い、跡継ぎを望んでいると記しています。

また、中殿(チュンジョン:중전)には子を身ごもる見込みがないことや、イ・サンは微賤の宮女に関心がないので、伝統に則った揀擇(カンテク)をしなければならないと主張しています。(このように書いているということは、当時のイ・サンはさほど女色に興味がなかったのでしょう)

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1789年(正祖13)9月1日には、亡くなった文孝世子(ムニョンセジャ:문효세자)のことで悲しむイ・サンを気遣い、薬院に諺文教書(オンムンキョソ)を出し、さらに王の心を察することなく面会を求め続けた承旨(スンジ:승지)たちの不手際を攻め、辞職しろとまで言っています。

視聴者というのはどうしてもドラマの描写に引っ張られてしまい、それが史実であるかのように錯覚してしまいがちです。特に、外国の歴史ではなおさらでしょう。けれども、記録を見るとドラマの描写と史実に乖離を見出すことができます。

さて、表面上は義理の祖母と孫の関係を維持していた二人ですが、内心ではそれなりに牽制をしていたことでしょう。祖母は兄を殺され、孫は父を殺されているのですから。

イ・サンを気遣う教書も、裏読みすると、思いやりに見せかけて自身の影響力を行使しているようにも取ることができます。この流れで、イ・サンの死後、ちゃぶ台をひっくり返したような反動政治を行ったのかもしれません。

そうではなく、実はこの頃には改心していたものの、純祖(スンジョ:순조)代に垂簾聴政(スリョムチョンジョン:수렴청정)を行った時は、周りの反時派(シパ:시파)勢力を抑えきれずやむを得ず復古政策をとってしまったのかもしれません。

このあたりは歴史家の解釈次第ですね。

貞純王后はイ・サンの後宮問題に介入していた!

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