イ・サン

韓国ドラマ イ・サン ウィキペディアより詳しいイ・サン 第22代朝鮮王正祖(チョンジョ) 歴代朝鮮王の中で最も魅力ある正祖を、韓国時代劇イ・サンを通じて考証していきます

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淑儀文氏 文女と呼ばれた女

      2014/09/29

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和緩翁主(ファワンオンジュ)の生涯のコメント覧が思いの外盛り上がったので、ドラマ イ・サンに出て来なかった淑儀文氏(スギ ムンシ:숙의문씨)を紹介します。

第22代・英祖(ヨンジョ:영조)→孝章世子(ヒョジャンセジャ:효장세자)→思悼世子(サドセジャ:사도세자)→第22代・正祖(チョンジョ:イ・サン)の流れは後宮も絡まりとても複雑なので、エピソードとして面白いことでさえもドラマ内では端折られています。

淑儀文氏(スギ ムンシ)もそんな一人です。

その前に、厳格な人として描かれている英祖ですが、若いころも年をとってからも、けっこう色々とやらかしています。

英祖がまだ延礽君(ヨニングン:연잉군)だった1718年3月9日、最愛の母・淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)が亡くなります。

そして、翌年の1719年2月15日に最初の息子、のちの孝章世子(ヒョジャンセジャ:1719-1728)が誕生するのですが、喪に服していなければならない母の死後1・2ヶ月以内に仕込みをしているのです。

この女性がのちに嬪(ピン:빈)に追贈される靖嬪李氏(チョンビン イシ:정빈 이씨:1694-1721)です。

妊娠と出産が不適切な時期ということもあって、彼女の生んだ男子は粛宗(スクチョン:숙종)の最初の男孫であるにもかかわらず、粛宗実録にも記載されないという扱いとなりました。彼女は1721年に28歳で亡くなってしまいます。

孝章世子(ヒョジャンセジャ)は10歳で夭折しますが、1726年、8歳の時に趙氏(チョシ:조씨)追贈・孝純王后(ヒョスンワンフ:효순왕후:1715-1751)と結婚します。

息子を早くになくした英祖趙氏を我が子のようにかわいがったといいます。その趙氏が37歳で亡くなると英祖は深く悲しみました。そんな悲しみを癒したのが、今回の主人公・淑儀文氏(スギ ムンシ)です。

 

淑儀文氏(スギ ムンシ)趙氏の宮女でした。1752年、英祖(ヨンジョ)が59歳の時に無き嫁の宮女を孕ませたということで、多感な18歳の思悼世子(サドセジャ)は不快感をあらわにしました。

嫁の持ち物(宮女)に手を付けるということは、道徳的にも許されることではありませんでした。

その5年後の1757年、思悼世子が23歳の時、父王を批判したにもかかわらず自身は父以上に非道徳的な振る舞いをしてしまいます。無き大妃の仁元王后(イノンワンフ)の宮女に手を出してしまったのです。

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祖母のものに手を出すという大罪にも匹敵する行いでした。彼女もまたその悲劇で有名な守則朴氏(スチク パクシ:수칙 박씨)です。(こちらを参照してください→恩全君と景嬪朴氏の悲劇

話を元に戻しましょう。

淑儀文氏(スギ ムンシ)が後宮に入った経緯からして、思悼世子の彼女に対する心象は最悪のものだったと想像できます。このような時、マイナスのベクトルは一方的なものではなく反射するかのように呼応します。

淑儀文氏(スギ ムンシ)もまた、思悼世子に対して憎悪にもにた感情をいだきました。そして、その憎悪は遂に大事件へと発展していきます。それがかの有名な思悼世子を絶命させた米びつ事件です。

 

彼女は思悼世子(サドセジャ)への弾劾にあたり、領議政・金尙魯(キム・サンノ:김상로)と 弟の文聖國(ムン・ソングク:문성국)と結託し、思悼世子を窮地に追い込む決定的な役割を果たしました。

このことを恨んで幼少期を過ごし遂には王へとなったのが、他でもないイ・サンです。

イ・サンが即位すると、彼女の凋落は決定的なものとなります。即位してちょうど5ヶ月後の1776年8月10日、臣下の上訴を受けて私邸で軟禁状態にあった廃淑儀文氏(ペ スギ ムンシ:폐 숙의 문씨)を賜死させました。

そして、イ・サンの恨みが垣間見えるのが文女(ムンニョ:문녀)という表現でしょう。

チョン・フギョムの死 その史実は?でも説明しましたが、喪に服し26日間公務を停止する公除(コンジェ:공제)の期間であったにもかかわらず、英祖の死後25日目にあたる3月30日に淑儀の爵号を剥奪しています。そして、4月2日以降は文女(ムンニョ)と蔑んで呼んでいます。

彼女を賜死させた8月10日が11回目の記述ですが、それ以降も度々登場し、正祖実録に23回も文女(ムンニョ)と記されています。慎重なイ・サンが処分を即決したことや記述の多さからみても、イ・サンの恨みの程を感じ取ることができます。

また、祖父王・英祖の不適切な女性関係をイ・サン自身も快く思っておらず、悪女に鉄槌を下したとも見て取れます。

いずれにしても、粛宗(スクチョン:숙종)・英祖(ヨンジョ:영조)・思悼世子(サドセジャ:사도세자)と、3代にわたり下賤趣味だったのか意図的に選んだのかはさておき、宮女に手を出して歴史を混乱に陥れたのは確かです。

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