イ・サン

韓国ドラマ イ・サン ウィキペディアより詳しいイ・サン 第22代朝鮮王正祖(チョンジョ) 歴代朝鮮王の中で最も魅力ある正祖を、韓国時代劇イ・サンを通じて考証していきます

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恵慶宮(ヘギョングン)は特殊な地位だった!

   

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イ・サン56・57話あたりは韓国での本放送の時に、急激に視聴率が低下した回でもありました。

30%前後で推移していた視聴率が56話では23.9%にまで落ちています。

比較的史実に基づいた話の進み方をしていたのに、急にフィクションの比率が高くなると、このように視聴率が下がる傾向にあります。視聴していても掴みどころのない感じがするのはこのためです。

さて、そのようなドラマの内容ですので、今回は内容からピックアップするのではなく、恵慶宮 洪氏(ヘギョングン ホンシ:혜경궁 홍씨:1735-1815)についてお話します。

朝鮮王朝の屋台骨を支えた女性たちには不幸な人が多いのですが、彼女もまたその一人です。ですが、これでも最高に不幸というわけではありません。子も孫も王に即位しているのですから。

彼女は思悼世子(サドセジャ:사도세자)世子嬪(セジャビン:세자빈)だったのですが、周知の通り1762年に世子が亡くなり英祖(ヨンジョ:영조)により恵嬪(ヘビン:혜빈)に冊封されました。通常このように世子がなくなると嬪(ピン:빈)に冊封されます。そして王に他の男子がいる場合には当然ながら宮廷から出て行かなければなりませんでした。けれど、幸いな事にイ・サンが世孫(セソン)となったことで、宮廷内にとどまることができました。

彼女の呼び名が変わるのは1776年にイ・サンが王位についてからです。この時に恵慶宮(ヘギョングン)となりました。年齢的には内命婦(ネミョンンブ)の長老だったものの、地位としては王大妃(ワンテビ)として貞純王后 金氏(チョンスンワンフ キムシ:정순왕후 김씨)がいたため2番めの地位でした。

通常、王の母は王大妃(ワンテビ:왕대비)となるのですが、彼女はなることができませんでした。王大妃になるには先王の妻でなければならないので、思悼世子(サドセジャ)が王に追尊されなければなりません。

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けれど、イ・サンは形式上は思悼世子の兄・孝章世子(ヒョジャンセジャ:효장세자)の養子になっていたため、彼を真宗(チンジョン:진종)に追尊し、実父は荘献世子(チャンホンセジャ)にしか高めませんでした。そのため、恵嬪恵慶宮という特殊な地位にしか付けなかったのです。この地位は中殿(チュンジョン:중전)よりも高く王大妃(ワンテビ)よりも低いものでしたが、王の生母であるために、王大妃(ワンテビ)格としての待遇を受けました。

ドラマ内で中殿(チュンジョン:중전)は恵慶宮(ヘギョングン)のことを「オマママ」と読んでいます。中殿が実際に彼女をどのように読んでいたかわわからないのですが、他の者からは慈宮(チャグン:자궁)と呼ばれていました。読んで字のごとく母の慈愛を持つものという意味です。

もし、彼女が第9代成宗(ソンジョン:성종)の母・仁粋大妃(仁粹大妃:インステビ:인수대비)のように、才高い野心家だったなら、大妃となり内命婦(ネミョンンブ)の実権も完全掌握していたことでしょう。そうすれば、イ・サンの改革も息子純祖(スンジョ)に引き継がれていたかもしれませんが、不幸にも純祖の代理聴政(テリチョンジョン:대리청정)を行ったのは大妃だった貞純王后(チョンスンワンフ:정순왕후)でした。

恵慶宮(ヘギョングン)はイ・サンが身罷った15年後にその天寿を全うします。81歳という当時としては破格の長寿だったため、十分に彼女が権力を握り純祖を導けたはずです。けれど、閑中録(ハンジュンノク:한중록)という泣き言めいた手記しか残さなかったことが悔やまれます。歴史にタラレバ無しですので、致し方ないことですね。

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