イ・サン

韓国ドラマ イ・サン ウィキペディアより詳しいイ・サン 第22代朝鮮王正祖(チョンジョ) 歴代朝鮮王の中で最も魅力ある正祖を、韓国時代劇イ・サンを通じて考証していきます

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ホン・グギョンの死因と彼を追い詰めたものは?

   

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イ・サン68話。

ついに洪国栄(ホン・グギョン:홍국영)が亡くなってしまいました。享年34歳。

ドラマでは江原道江陵(カンヌン:강릉)近くの浜に居を設けて過ごし、死の寸前にイ・サンが見舞い、それを待っていたかのように亡くなりましたが、場所は合っているものの、イ・サンが看取ったというのは史実ではありません。

それでは実際はどのような亡くなり方だったのでしょうか?

彼が亡くなったのは1781年(正祖5)4月5日です。1779年(正祖3)9月26日に辞表を提出してから1年半のことでした。死因は鬱火病(ウルファビョン:울화병)と言われていますが、詳しいことはわかっていません。鬱火病は朝鮮半島特有のメンタリティーからくる精神疾患の一種で、あまりの悔しさに心が蝕まれていくというものです。

洪国栄(ホン・グギョン)は専横が激しく老論(ノロン:노론)の反感を買い弾劾されたということになっていますが、辞表を出させたのはイ・サンだというのが通説です。罷免ではなかったのはなぜでしょうか?

 

大別すると2説が挙げられます。1つ目は洪国栄の行状がイ・サンが擁護できる範疇を超えてしまったものの、恩ある功労者であるための措置だったという説。2つ目はイ・サンに利用された挙句に切られてしまったという説です。

1つ目の説は俗にいう通説ですので説明はいらないでしょう。そこで2つ目の「イ・サンに利用された」説を元に考察していきます。

まず、弾劾の理由を列記します。

  1. 金鍾秀(キム:ジョンス)による後宮揀擇(カンテク)を妨げたという弾劾(公式)
  2. 完豊君(ワンプングン:완풍군)を世子(セジャ)に擁立しようとした(有力な理由)
  3. 後年、1783年(正祖7)の文洋海(ムン・ヤンヘ:문양해)の乱の取り調べ過程で、王妃の命を脅かしたとの記録が出てくる(信ぴょう性が低い)
  4. 異母兄弟の恩全君(ウンジョングン:은전군:1759-1778)が謀反に担ぎ上げられた時、擁護せずに賜死を主張した(一理ある理由)
  5. 完豊君(ワンプングン)を元嬪洪氏(ウォンビン ホンシ:원빈 홍씨:1766?-1779)の養子にした(俗説:実際には「私の甥」と言っただけ)
  6. 孝懿王后(ヒョウィワンフ キムシ:효의왕후 김씨:1753-1821)を毒殺しようとした(俗説)

 

朝鮮の弾劾の特徴として、あることないことがでっち上げられそれで命までも奪う傾向があります。そのため、洪国栄(ホン・グギョン)に対する弾劾も、明確な論理的欠格事由が無いのです。金鍾秀の弾劾上訴に結局は何百人もが乗っかって彼を追い詰めたというのが実情です。

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ここからはあくまで憶測に過ぎませんが、洪国栄とイ・サンとの間に暗黙の盟約があり、汚れ仕事はすべて洪国栄が行なっていたとも考えられます。そのため、他の臣下や民衆から見れば悪役ではあるものの、イ・サン自身は彼の働きを十二分に評価していたのかもしれません。

ただ、そうなると、復職の余地が限りなく低い退職者用の官職・奉朝賀(ポンジョハ:봉조하)に封じたことは合点がいきません。コレは明らかに引退勧告です。辞表を受け取った二日後に封じているため、のちの復職を前提として辞表を書かせ、騙したとも考えられます。

そうすると、イ・サンは意図的に洪国栄(ホン・グギョン)を追い込んだことになります。洪国栄はイ・サンとは12寸離れていますが母の恵慶宮 洪氏(ヘギョングン ホンシ:혜경궁 홍씨)の家門に繋がるれっきとした外戚です。

当時のイ・サンの朝廷対策は各党派のバランスを取る蕩平策(タンピョンチェク:탕평책)でした。けれども再側近の洪国栄が自身の勢力を急拡大させ勢道政治を行ったため、理想とはかけ離れた状態になっていたのです。

また、逆説的に言えば洪国栄のやり方を傍で見ることにより、イ・サンは老論をコントロールする方法を学んだようにも思えます。事実、イ・サンによる数々の功績は洪国栄亡き後に自身の主導により達成されていきます。

ドラマでは奎章閣(キュジャンガク:규장각)の改革がすでに行われていますが、実際にはただの図書館だった奎章閣を庶子を登用してシンクタンク化したことは、洪国栄が去ってからのことです。これは旧態依然とした老論を抑えない限りできないことです。この時にはすでにイ・サンは臣下をコントロールできるレベルに達していたことが伺えます。

それまでのイ・サンは、はっきり言って昼行灯のような状態でした。脳ある鷹が爪を隠して機会を狙いつつ学習していたのか、本当に昼行灯だったのかは定かではありません。けれども、洪国栄が去ったことで龍が目覚めたことだけは確かです。

ドラマでのイ・サンはまさに龍が如き活躍を見せ、時には仔山羊のような弱さも見せていますが、洪国栄後のイメージをドラマでは前倒しして使っているために、このような描写になっているのだと思います。

「イ・サンは暴君だった」という説を唱える学者もおり、今回は若干そのような視点で彼を紹介しました。個人的にも暴君の面が多々見受けられると思います。ですので、張禧嬪的な描き方をしても面白い王なのですが、きっとイ・サンファンに袋叩きに合うことでしょう(汗)

けれど、そのような描き方をすると、きっと洪国栄はイ・サンに捨てられた悲哀に満ちた臣下として描かれ浮かばれるのではないかと思います。

現在ある史料だけでは本当に彼が悪の権化だったのかはわかりません。彼の生涯を綴った反証できる史料でも出てくれば面白いのですが・・・。

史実は闇の中です。

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