ソンヨンが後宮揀擇対象に???
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イ・サン第50話。イ・サンの母・恵慶宮(ヘギョングン ホンシ:혜경궁 )により揀擇(カンテク:간택)が計画されました。
史実でも実際に揀擇が行われています。正祖実録1778年(正祖2)5月2日の記述に「命揀嬪御」とあります。
その前に揀擇(カンテク)について簡単に説明しておきましょう。
揀擇(カンテク)は王の後宮を選別するための正式な方法で、まずは禁婚令(クモンリョン:금혼령)を出して、この期間の婚姻を禁止します。花嫁候補を他家に嫁がせないための最初のステップです。
じつのところ王の後宮に入ることは喜ばれたものではなく避けられていました。数百年にわたる不幸な実例があるように、女として不幸になることも多い上に、政変に巻き込まれて家門が危うくなることも多かったからです。
それよりは有力家門同士で姻戚関係を結んだほうが良いとされていました。早婚化が進んだのも、後宮に入ることを避けるためという理由が強かったのです。
禁婚令(クモンリョン)のあとは3回揀擇(カンテク)を行いふるいにかけて、後宮に入る女性を決めていきました。
さて、ソンヨンはこの揀擇(カンテク)の対象になり得たのでしょうか?残念ながら彼女の身分からして無理な話でした。
最初に「命揀嬪御」という言葉を紹介しましたが、この意味は「嬪御(ビンオ:빈어)の揀擇を命じる」という御命です。ソンヨンのモデルになった宜嬪成氏(ウィビン ソンシ:의빈 성씨)はイ・サンの後宮の中で唯一揀擇(カンテク)を受けずに後宮に入った女性なのですが、そもそも彼女は宮女でした。
ドラマ イ・サンでは図画署(トファソ)の茶母(タモ)・画工(ファゴン)として活躍していますが、史実では幼い頃から宮廷で働いていた宮女です。
イメージを著しく損ねるかもしれませんが、宮女の出自は官婢です。人としてではなくモノ的なものとして扱かわれました。そして、王に仕える宮女である以上、揀擇(カンテク)という面倒な手続きを経なくても、王の好奇心でいつでも自分の女にすることができました。逆に揀擇(カンテク)の対象には成り得なかったのです。
ドラマの設定のような茶母(タモ)の場合には、間違いなく婚姻対象にはなりません。宮廷外を自由に闊歩でき、どこの種をもらってくるかわからない状況の女性は、王統の正当性に疑問を抱かれるため、王と婚姻できるはずもありません。
ドラマ イ・サンでの描写では孝懿王后(ヒョウィワンフ キムシ:효의왕후)から後宮に入ることを請われていますが、仮にソンヨンが宮女だとしても、孝懿王后が行動を促す対象はソンヨンの方ではなくイ・サンの方です。
「やってしまいなさい!」と、旦那の尻を叩いて(笑)
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