イ・サン

韓国ドラマ イ・サン ウィキペディアより詳しいイ・サン 第22代朝鮮王正祖(チョンジョ) 歴代朝鮮王の中で最も魅力ある正祖を、韓国時代劇イ・サンを通じて考証していきます

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イ・サンは温陽行宮に行ったのか?

      2014/02/13

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NHKのガイドブックの内容が怪しいことが、当ブログの読者の皆さんとのやり取りで徐々に分かって来ました(汗)

ボク個人はちょっと立ち読みしただけなのでなんとも言えないのですが、温陽行宮(オニャンヘングン:온양행궁)にも度々訪れたとの記載があるのだとか。

今回はその疑惑を検証してみたいと思います。

オニャンヘングン

そもそも温陽行宮(オニャンヘングン)とは王室の温泉療養所のようなところで、ソウルから100kmほど真南に離れた温陽(現在の牙山市:アサン市)にある行宮(ヘングン)です。行宮は都城外にある離宮だと思ってください。温陽行宮は別名を温宮(オングン:온궁)ともいいました。

イ・サン第33話で母・恵嬪(ヘビン)に勧められていくことになりました。字幕では「温陽」としか表記されませんでしたが、イ・サンのセリフでは温陽行宮(オニャンヘングン)としっかり言っています。

個人的には「ドラマだからな~」と、その脚色をスルーしていました。というのも、そんな事実はないことを知っていたからです。ただ、NHKのガイドブックに書かれているということで、ぼくの記憶違いかなとも思い、改めて調べてみました。

結論からいうと、イ・サンが温陽行宮(オニャンヘングン)へ行った公式記録はありません。(あえて公式としておきます)

 

朝鮮王朝実録の英祖実録と正祖実録、承政院日記(スンジョンウォンイルギ)をくまなく調べました。そして他の資料をもチェックした結果の総合判断です。

もともと温陽行宮(オニャンヘングン)が整備され始めたのは初代・太祖(テジョ)の時で、6人の王がこの地を愛しました。

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実は、温陽行宮(オニャンヘングン)は近現代に廃れてしまっていたのですが、観光資源としても見直され、復興運動が開始されています。その事を扱った新聞記事に「6人の王」との記述があるのです。その6人とは下記の王です。

太祖(テジョ:태조)李成桂(イ・ソンゲ:이성계) ・第4代世宗(セジョン:세종)・第7代世祖(セジョ:세조)・第18代顕宗(ヒョンジョン:현종)・第19代粛宗(スクチョン:숙종)・第21代英祖(ヨンジョ:영조)

これを見ても分かる通り、第22代正祖の名はありません。もし、イ・サンがたびたび利用していたのなら、マイナーな第18代顕宗の名を上げるより、ネームバリューのあるイ・サンの名を連ねたほうが宣伝効果がありますよね(笑)

※世祖が皮膚病の治療に利用したエピソードなどは有名で「王女の男」でもそれらしき描写があります。

 

とはいうものの、温陽行宮(オニャンヘングン)とイ・サンには全く関わりがないのかというと、そうでもなく、興味深いエピソードが残っています。

1760年に祖父・英祖(ヨンジョ)が行ったのが公式には最後の記録なのですが、この時にイ・サンの父・思悼世子 (サドセジャ:사도세자)も同行しており、射場で武術修養しました。

イ・サンはその時から30数年ほど経った1795年に、父を偲んで記念碑を作らせました。自ら書をしたためた御製の石碑です。それが現在も残っている霊槐台(ヨングェデ:영괴대)です。この時にイ・サンが直接行っていればガイドブックの面目躍如だったのですが、残念ながら臣下に手配させている記録も残っています。

 

ちなみに都城から45km南に離れた水原の華城行宮(ファソンヘングン:화성 행궁)ヘは、父・思悼世子の墓・顕隆園(ヒョンリュンウォン:현륭원)陵行(ヌンヘン:능행)する時によく利用しました。

1789年から1800年の間に12回行ったとの記録が残っています。

 

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