五軍営とは?
2014/02/13
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イ・サン第41話では、軍権を老論(ノロン:노론)に握られ、2万の兵に対峙しなければならないという状況に置かれました。
もちろんこれはフィクションですが、いい機会ですのでセリフでよく出てきたにもかかわらず訳されなかった五軍営(オグニョン:오군영)について説明していきます。
五軍営(オグニョン)は秀吉の朝鮮出兵・壬辰倭乱(イムジンウェラン:임진왜란)ののちに五衛(オウィ:오위)を改変してできた軍制です。
1593(宣宗26)の訓錬都監(フンリョントガム:훈련도감)にはじまり、1623(仁祖1)の御営庁(オヨンチョン:어영청)、1624(仁祖2)には摠戎庁(チョンユンチョン:총융청)、1626(仁祖4) 守禦庁(スオチョン:수어청)、1682(粛宗8)禁衛営(クミヨン:금위영)と軍備を増強していきました。
このように、5つの軍営があるため五軍営(オグニョン)というのです。
このうち、首都防衛を行ったのが訓錬都監・御営庁・禁衛営で、首都の郊外を担当したのが摠戎庁・守禦庁でした。
これらの創設は当時から権力の中枢にあった西人(ソイン:서인)の主導のもと行われました。軍事威力は対外的に使用されるものですが、内国的にも軍権を持つものが持たないものを牽制することができます。臣下が持つときには当然王権を牽制する力を持ちます。
仁宗の解体要請も虚しく軍備が増強されていったのは、まさに西人(ソイン:서인)による王への権勢でした。
第21代英祖(ヨンジョ:영조) 後期の実数は定かではありませんが、1636年の丙子胡乱(ピョンジャホラン:병자호란)前には御営庁は6000人、摠戎庁は20000人、守禦庁は12700人もの兵がいました。
後年、西人(ソイン:서인)が老論(ノロン:노론)と少論(ソロン:소론)に分裂し、英祖(ヨンジョ:영조)の時代には老論(ノロン)が軍権を握ることとなります。
その軍権を王のモノにするため、イ・サンは軍制改変にも精力的に力を注いでいきます。
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