勢道政治とホン・グギョン
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勢道政治(せいどうせいじ:セドジョンチ:세도정치)という言葉を世界史の授業で聞いたことのある人は多いと思います。
この言葉と安東金氏(アンドンキムシ:안동 김씨)をセットにして覚えたはずです。
この勢道政治(セドジョンチ)、実は洪国栄(ホン・グギョン:홍국영)が元祖なのです。
儒者が理想とする政治とは「広く社会を教化し、世界を正しく治める道理を具現化する政治」で、世道政治(セドジョンチ:세도정치)と呼ばれていました。韓国語では勢道政治と読みが全く同じです。
第11代中宗(チュンジョン:중종)代に活躍した士林(サリム:사림:儒者集団のこと)の趙光祖(チョ・グァンジョ:조광조)以来、理想を追い求めることこそが朝鮮の政治でした。
けれども、世道政治は洪国栄(ホン・グギョン)以降、特に19世紀では「王の信任と委任を受けて政権を握った特定の者と、その追従勢力によって行なわれた政治」へと変容していき、勢道政治となっていったのです。
洪国栄(ホン・グギョン:홍국영)は宿衛大将(スグィデジャン:숙위대장)に任命され軍事力を持った上に都承旨(トスンジ:도승지)として秘書機能も完全掌握します。文武において彼がフィルターの役割をするようになると、そのフィルターは情報の遮断や変換もしてしまうようになります。
また、妹の元嬪洪氏(ウォンビン ホンシ:원빈 홍씨)を入宮させることにより、後宮政治も開始しました。もともとイ・サンの母・恵慶宮(ヘギョングン:혜경궁)と同族であるため、その威も借りています。
このように、全方面で彼の権力が及ばない箇所がなくなると、必然的に王権をも凌駕し始め、独断的な権力乱用が行われることになったのです。先に賜死された 鄭厚謙(チョン・フギョム:정후겸)を引き合いに、更に酷い大厚謙(テフギョム:대후겸)と呼ばれたり、宰相に匹敵する権力を持つことから 世道宰相(セドジェサン:세도재상)とも呼ばれるようになりました。
イ・サンの信任の厚い彼ですが、今後はさらに激動の人生を歩むことになります。
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