チョン・フギョムの死 その史実は?
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イ・サン第47話。
鄭厚謙(チョン・フギョム:정후겸)と洪麟漢(ホン・イナン:홍인한)。
反対勢力・老論僻派(ノロンピョッパ:노론벽파)の2大巨塔はついに自らの人生の終焉を迎えます。
ドラマでは洪麟漢(ホン・イナン)は情けない姿で描写されていますが、歴史的評価では間違い無く彼ら二人が老論僻派を牽引し、イ・サンの排斥とともに洪国栄(ホン・グギョン:홍국영)の排斥も敢行していたのです。
イ・サンは当初、処分に消極的でした。その理由は3つ。
- 喪に服し26日間公務を停止する公除(コンジェ:공제)の期間であった。
- 即刻罪を問うことは復讐ととらえられ、民心の掌握に不都合だった。
- 仮にも両者とも外戚であり、祖父・英祖(ヨンジョ:영조)が登用していた人物であった。
けれども、今後の朝廷運営に支障があるということで、三司による訴えが強く、イ・サンは抗うことができず、遂には流罪を決定します。英祖が亡くなって20日後、イ・サンが即位して15日後の1776年3月25日のことでした(旧暦)
その後、連座制を適用し、フギョムの実父と家族の追放を行うものの、手ぬるさを大司憲ら三司に指摘され、栫棘(チョングク:천극)を行います。流罪は一般的には軟禁ですが、栫棘は塀で閉ざす監禁を意味します。
その手ぬるさに三司はさらなる上訴をするも、一向に処断しないイ・サンに業を煮やし、ついには成均館の儒生を投入します。ドラマでは彼らの赦免を訴えていましたが史実では全く逆で、処分を訴えました。
さすがに抗いきれなくなったイ・サンは7月3日に全国的に反逆があったことを公表。翌々日の7月5日、ついに2人を賜死させることになります。
すると、再度三司から賜死では手ぬるいとの訴えが上がります。賜死は読んで字のごとく「死を賜る」もので、儒者としての名誉を保った罪なのです。反逆に対する罪としては異例でしたが、イ・サンの意図として先述の3つ掲げた処分に消極的な理由と同様だったものと思われます。
もちろん、ホン・グギョンがチョン・フギョムを訪ねていったこともフィクションです。
一介の魚屋の人生を歩んでいれば天寿を全うしていたかもしれないチョン・フギョム。享年28歳でした。
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