キム・ギジュの真の姿は?
2014/02/13
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キム・ギジュ(キム・グィジュ)
貞純王后 金氏(チョンスンワンフ キムシ:정순왕후 김씨)の兄・金亀柱(キム・グィジュ:김귀주)はドラマ イ・サンでは少々頭が弱い猪突猛進タイプとして描かれています。けれど、本当の彼はそのような人物ではありませんでした。
彼は一体どのような人物だったのでしょうか?
1740年生まれです。妹の貞純王后(チョンスンワンフ)が1745年生まれですので、5歳年上の兄です。イ・サンとはちょうど一回り歳が離れています。
ドラマとは違って、年少の頃から地元忠清道(チュンチョンド)では文才が高く評価されていました。 1763年に科挙に合格していますので、後ろ盾があったといっても、24歳という結構な若さで合格しているところを見ると、高レベルの知力があったことが伺えます。
1761年、彼は思悼世子(サドセジャ:사도세자)の秘密裏な平安道(ピョンアンド)への旅を英祖(ヨンジョ:영조)に密告します。英祖がこれを取り上げて、翌年の悲劇へとつながるのですが、このあたりの描写はドラマでも正しく取り上げられています。
ドラマではイ・サンの敵対勢力として爆殺未遂を起こしましたが、厳密にはイ・サンの外祖父・洪鳳漢(ホン・ボンハン:홍봉한)と敵対していました。
2人とも外戚ですが中殿(チュンジョン:중전)と世孫(セソン)という異なった系統です。金亀柱は南堂(ナムダン:남당)、洪鳳漢は北堂(プクダン:북당)、それぞれの領袖として敵対しており、政局を握る北堂を南堂が攻撃していました。両者ともイ・サンの正当性については争っておらず、王位継承者として奉っていました。そのため、爆殺未遂事件は完全なフィクションです。
イ・サン即位後、彼は反対勢力として台頭しますが、その後配流となります。これについては名目上はイ・サンの母・恵慶宮(ヘギョングン:혜경궁)に対する無礼のためでしたが、実際には、1772年、彼が工曹参判(コンジョチャンパン:공조참판)だったときに、外祖父・洪鳳漢を陥れたことに起因します。
このあたりもドラマと史実とで全く異なりますね。ドラマではキジュは昇進しないままですし(笑)
※金亀柱の読みはキム・グジュ(김구주)となっている資料も多いです。他者の名も亀は「グ」となっており、当時の音韻体系では「グィ」ではなく「グ」と発音していたようです。
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