イ・サン第73話 文孝世子の死
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イ・サン第73話。
イ・サンにとって待望の王子だった文孝世子(ムニョンセジャ:문효세자)がたった5歳で亡くなりました。
このことは、正祖実録にも詳細が書かれています。
1786年(正祖10)5月3日に赤い発疹ができたということで議薬庁(ウィヤクチョン:의약청)が設置されます。幸い発疹も収まりあとは熱が下がればというところまで回復します。けれども、5月10日に病状が急変し、5月11日に亡くなってしまいます。
このあたりのドラマでの描写はあまりにも性急すぎましたね。企画の段階でイ・サンの人生の歩みをある程度均等に描くつもりだったのなら、後半は時間がなさすぎました。丁若鏞(チョン・ヤギョン:정약용)がすでに水原華城(スウォンファソン:수원화성)の築城に着手していることからもわかるように、時間がないために史実を前倒しした形跡があります。
文孝世子は1784年(正祖8)7月2日に世子(セジャ:세자)になっていますので、73話では、ほんの数分の描写の間に2年ばかり時が経ってしまました。
また、実は世子冊封の数ヶ月前に宜嬪成氏(ウィビンソンシ:의빈 성씨)は娘も生んでいます。1784年(正祖8)3月20日に護産庁(ホサンチョン:호산청)を設置し女を生んだとあります。(年表を更新していますのでご参照ください。韓国歴史年表イ・サン編)
このことからもわかるように、73話で身ごもっているのは第3子です。
実録を見る限りでは成氏が臓結病(チャンギョルビョン:장결병)で肝臓を患ったと言う記録はありません。ただ、体調が急激に悪化したことは確かです。
余談ですが、字幕では臓結病を肝臓ガンか肝硬変というように記載していましたが、この病名自体が肝臓に起因する病気を意味することはありません。読んで字のごとく「蔵」は五臓を指す言葉です。東洋医学の専門家によると、内臓のどこかのガンということですが、成氏がこの病気を患ったという明確な記録がないため、説明しても蛇足ですね。
さて、74話ですが、バスタオルが必要とだけ言っておきます。
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