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韓国ドラマ イ・サン ウィキペディアより詳しいイ・サン 第22代朝鮮王正祖(チョンジョ) 歴代朝鮮王の中で最も魅力ある正祖を、韓国時代劇イ・サンを通じて考証していきます

イ・サン第70話 ソンヨンが昭容になったのは史実?

   

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イ・サン第70話。ソンヨンが承恩尚宮(スンウンサングン:승은상궁)から正3品昭容(ソヨン:소용)になりました。

以前にも説明しましたが、ソンヨンのモデルとなった宜嬪成氏 (ウィビンソンシ:의빈 성씨)尚宮(サングン:상궁)ではなく、同じく正五品(チョンオプム:정5품)ながらも、尚宮より下位の尚儀(サンウィ:상의)の身分で子を生んでいます。

成氏が朝鮮王朝実録に初めて登場する1782年8月26日の記述に「是時 尙儀成氏彌月將屆也」とあり、「尚儀成氏が出産する月だ」と記載されています。

※内命婦(ネミョンブ:내명부)の品階はトンイ考にまとめています。

それでは、ソンヨンこと成氏が昭容(ソヨン)になったのは史実ではないのでしょうか?

このこと自体は史実です。けれども、ドラマの描写のように妊娠中に清とのいざこざの仲裁に入り、解決の一助となったことによるものではありません。史実ですのでここで一気に説明しても良いのですが、詳細はもう少しあとで紹介します。といっても、史実的にも数ヶ月後のことなので、来週紹介するかと思います。

また、ドラマ内の描写で気になった箇所が一つありました。

イ・サンの母・恵慶宮 洪氏(ヘギョングン ホンシ:혜경궁 홍씨)がソンヨンに教旨を渡していましたが、内命婦(ネミョンブ:내명부)を取り仕切るのは中殿(チュンジョン:중전)です。恵慶宮には後宮を冊封する権限はありません。

もっとも、中殿が後宮を勝手に任命するわけではなく、王が意思を伝え、それを了承する形で教旨が下されるため、実質的には王の権限といっても差し支えありません。もちろん、母である恵慶宮が強烈な反対表明をしたならば、この教旨は下されることはないのですが、史実として恵慶宮が反対したということもありませんでした。

それにしても、成氏に対する冊封のタイミングは、通例よりも遅いのです。トンイのモデルとなった淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)は成氏同様に宮女上がりの後宮です。彼女は最初の子を妊娠した時点で従4品淑媛(スグォン:숙원)となっています。

成氏をなかなか正式な後宮に冊封しなかったのは、それこそ淑嬪崔氏の呪縛があったからかもしれません。淑嬪崔氏にかぎらず第19代粛宗(スクチョン:숙종)は宮女上がりの後宮で大失敗をした王ですので、イ・サンはその轍を踏まないように、慎重に事を運んだフシがあります。

このあたりも、来週紹介することになるでしょう。

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