イ・サン第74話 宜嬪成氏の死
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イ・サン第74話。
ソンヨンこと宜嬪成氏(ウィビンソンシ:의빈 성씨:1753-1786)が亡くなりました。
何度見ても号泣を誘う回ですが、今回は過去数回に比べて比較的しっかりと台詞を聞きながら見ることができました。それにしても切ない・・・。
特に死に目に会えなかったテスのシーンに切り替わった時が一番やばかったです(泣)
ドラマのように死因が臓結病(チャンギョルビョン:장결병)だったという記録はなく、妊娠中毒症も考えられますし毒殺も考えられますが、急に病を得て突然亡くなったことだけは確かです。
1786年(正祖10)5月11日に文孝世子(ムニョンセジャ:문효세자)が5歳でなくなり、その4ヶ月後の9月14日に宜嬪成氏(ウィビンソンシ)が相次いで亡くなりました。享年34歳でした。
実録には「宜嬪成氏卒」から始まり、イ・サンの落胆ぶりが「実に惜しみ悲しんだ」と記述されています。この時点で世継ぎがいなかったため期待も大きかたのです。また、病気の進行が尋常ではなかったために、人々は何かあるのではないかとの疑いも持ったという記述もされています。
宜嬪昌寧成氏之墓(ウィビン チャンニョン ソンシ ジ ミョ:의빈창녕성씨지묘)
当初は世子と寄り添うように孝昌園(ヒョチャンウォン:효창원)に埋葬されていましたが、日本統治時代におそらく区画整備があったのでしょう。強制移設の憂き目にあい現在の西三陵(ソサムルン:서삼릉)の嬪御(ビンオ:빈어)の共同墓地にひっそりと佇んでいます。(下の写真の左上の黄色い丸のあたり)
この場所は未公開地域となっていますので、見に行く事はできません。彼女の墓の周りには和嬪尹氏(ファビン ユンシ:화빈윤씨)と元嬪洪氏(ウォンビンホンシ: 원빈홍씨)の墓もあるのですが、明らかに異なるものがあります。それは御製神道碑(オジェ シンダンビ:어제 신도비)です。
神道碑とは経歴などが書かれた墓石のようなものなのですが、他の二人にはなく後宮では宜嬪成氏(ウィビンソンシ)にのみ存在します。しかも「御製」というイ・サン手ずからの物です。
王が後宮のためにここまでするというのはとても稀有な例です。文孝世子(ムニョンセジャ)にも同じように御製神道碑を建てているのですが、悲しみの深さや惜しさがこのことからもわかります。
イ・サンの後宮の中で唯一揀擇(カンテク:간택)を経ないで宮女から嬪(ピン:빈)となった女性でした。現代とは愛の概念が異なるといっても、3人も子を宿したことを考えると、イ・サンからの愛を最も多く受けた女性だったことは想像の範疇でしょう。
惜しむらくは当時の女性の記録 は殆ど残されていないということです。ひょっとするとドラマ以上のドラマがあったのかもしれませんね!
※ドラマ内では彼女の存命中にも水原華城(スウォンファソン:수원화성)が築城準備されていましたが、実際の着工は彼女の死の8年後の1794年からです。着工当時のイ・サンは当時44歳でした。
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