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韓国ドラマ イ・サン ウィキペディアより詳しいイ・サン 第22代朝鮮王正祖(チョンジョ) 歴代朝鮮王の中で最も魅力ある正祖を、韓国時代劇イ・サンを通じて考証していきます

英祖昇遐の史実は?

      2012/03/19

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イ・サン第44話。朝鮮王朝において歴代最長期間王として君臨した第21代英祖(ヨンジョ:영조)が昇遐(スンハ:승하)しました。

ドラマの叙情的な描写が秀逸で、ソンヨンに下賜した淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)の指輪のエピソードも史実であったに違いないと見紛うごときでした。

もちろん、これらの描写は残念ながらフィクションです。

それでは、実際にはどうだったのでしょうか?朝鮮王朝実録の記述を見てみましょう。

 

漢城府

英祖 127卷, 52年(1776 丙申 / 청 건륭(乾隆) 41年) 3月 5日(丙子)

丙子/卯時, 上昇遐于慶熙宮集慶堂。

英祖127巻の記載、1776年(英祖52)、清朝第6代乾隆帝41年3月5日

「卯時(ミョシ:묘시:午前5~7時)、王が慶熙宮(キョンヒグン:경희궁) 集慶堂(チプギョンダン:집경당)において昇遐(スンハ:승하)した。」

 

ドラマ内では英祖の私邸で倒れましたが、実際には都城の西にある慶熙宮(キョンヒグン)でした。

內侍奉復衣, 自東霤設梯而升皐復。

「内侍(ネシ:내시)が復衣(ポギ:복의)を奉り、東側の雨どいにはしごを掛け上り皐復(コボク:고복)を行った。」

復衣(ポギ:복의)とは招魂の儀式皐復(コボク:고복)を行う際の故人の衣服です。

皐復(コボク)の際には屋根に上り、故人の名と「復(ポク:복)」を3度呼び、まだ近くに漂っている故人の魂を呼び戻そうとしたのです。

ドラマでの描写は逆光で賢王を失った悲哀が見事に表現されていましたね。

 

さて、ドラマに登場する英祖の私邸ですが、実際にもありました。潜邸(チャムジョ:잠저)という表現をします。知るかぎりでは英祖は漢城府内に2ヶ所の潜邸を持っていました。

婚姻後に暮らした景福宮のすぐ西のブロックにあった彰義宮(チャンウィグン:창의궁)と、淑嬪房(スクビンバン:숙빈방)と呼ばれ母が使用していた梨峴宮(イヒョングン:이현궁)です。梨峴宮は義禁府(ウィグンブ)と右補盗庁(ウポドチョン)の間あたりです。

宮の名がついていますが、王族が暮らすという意味で付いているだけであって、昌徳宮のような大きい宮ではなく、私邸といった規模でした。

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