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韓国ドラマ イ・サン ウィキペディアより詳しいイ・サン 第22代朝鮮王正祖(チョンジョ) 歴代朝鮮王の中で最も魅力ある正祖を、韓国時代劇イ・サンを通じて考証していきます

イ・サン第71話 王子と翁主が同じ日に誕生?

   

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イ・サン第71話。ソンヨンこと昭容(ソヨン:소용)成氏(シンシ:성씨)がついに王子を産みました。のちの文孝世子(ムニョンセジャ:문효세자)です。

生まれたのは1782年9月7日です。

一方の和嬪尹氏(ファビン ユンシ:화빈 윤씨)も同日に翁主(オンジュ:옹주)を産みました。けれど、さすがに同日に生まれてくるのは・・・。

和嬪尹氏というのはさほど重要な人物でもないため、正祖実録には行状を除くと3回しか出てこないんです。1回目は1780年3月10日で和嬪に冊封された日。2回目はその2日後に嘉礼(カレ:婚姻)を挙げた日。そして3回目が1781年1月17日で産室庁(サンシルチョン:산실청)が設置された日です。

産室庁というのは通常出産前3ヶ月に設置されるお産のための臨時の官庁です。このことから推測すると、出産は4月半ばだったのではないかと思われます。ただ、和嬪(ファビン)については前述のように、出産も含めたその後の記録が一切ないのです。ということは死産であったか、生まれて間もなく死んだかのどちらかです。

一説によると姫を産み、その姫はですぐに夭折したと言われていますが、公式な記録は残っていません。仮に王子が生まれていたのであればイ・サンにとって初めての王子であるため記録が残るはずなので、この説は正しいものと思われます。

この時系列からもわかるように、昭容成氏(ソヨンソンシ)が生んだ王子は、和嬪(ファビン)の生んだ翁主(オンジュ)の約1年半後に生まれた第2子なのです。

ついでに、71話に出てきたことの時系列を整理します。

テスが昇進したという設定で禁軍(近衛軍)が改変されましたが、ドラマに出てきたように壮勇衛(チャンヨンウィ:장용위)といいます。1785年(正祖9)7月2日に命名したという記事が実録にあります。

丁若鏞(チョン・ヤギョン:정약용)が立案した漢江にかける舟橋(チュギョ:주교)は1790年(正祖14)7月1日に制度を定めたとあるので、この日の数ヶ月以内に案を提示したものと思われます。

舟橋はドラマ内でも描写されていたように、父・思悼世子 (サドセジャ:사도세자)の眠る永祐園(ヨンウウォン:영우원)水原華山(スウォン ファサン:수원화산)に移し顕隆園(ヒョルリュンウォン:현륭원)とするために、人馬の大量移動用に考案されたものです。

このように、イ・サン第71話は1781年、1782年、1785年、1790年が混在する摩訶不思議な状況です。

洪国栄(ホン・グギョン:홍국영)が死ぬ前までは比較的史実にの時系列にそっていたのですが、彼の死以降は完全に破綻しています。

キム・イヨン作家も含め制作陣の緻密さが失われているわけですが、台本を予め作成してスケジュール通り撮影するということをしない韓国ドラマ制作の弊害が一気に噴出したといえます。

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